JSA 

北海道支部ニュース

   

      No. 274   2004. 8.10

 

 

 

 

 

 

 

 

     2004度第2回支部幹事会のお知らせ       

     フォーラム「国立大学の法人化で大学をどうする」  

      地球温暖化問題勉強会スタート                  

      科学談話室


    

 

2004度第2回支部幹事会のお知らせ

 

第2回JSA北海道支部幹事会を下記の通り開催します。お忙しい折とは思いますが、各

班の幹事の方はご出席ください。幹事の方が出席出来ない場合は、代理の方の出席をお

願いします。

  幹事以外の方々も積極的にご参加していただき、ご意見等をお聞かせ下さい。また、

前日にはフォーラム「国立大学の法人化で大学をどうする」が開かれます(本号案内参

照)。こちらへも是非御参加ください。

 

 

日時 2004926日(日)9:3014:30

場所 北大工学部社会工学系第二会議室A151(工学部正面玄関入り1階左手奥)

議題 

  1.北海道科学シンポジウム

  2.フォーラム「国立大学の法人化で大学をどうする」総括

  3.支部財政問題及び組織強化・拡大

 4.その他

報告 支部・班・委員会等活動報告

 

フォーラム「国立大学の法人化で大学をどうする」

  国立大学が国立大学法人となり三ヶ月余が過ぎました。昨年の法人化準備以来この間、法人化にともない様々な問題が発生してきましたが、大学内あるいは大学間での情報把握が不十分です。この集会では、この間の法人化の状況及びその問題点を各大学等から報告していただき、それについて意見交換することを開催の目的とします。

 

日時:9月25日()14:00〜17:30

場所:北海道大学学術交流会館第3会議室(札幌市北区北8条西5丁目)

報告者

1.北海道大学教職員組合

2.科学者会議北見工大班

3.道内私立大学より(予定)

4.道内独立行政法人研究機関(予定)

主催:科学者会議北海道支部(北海道大学教職員組合後援)

 

 

 

地球温暖化問題勉強会スタート


200473()101220分、支部事務局で第1回目の「地球温暖化問題勉強会」

がスタートしました。まだ少人数の準備会的なものですが、目的は「地球温暖化問題の現状の総合的認識」で、その中にある問題点や今後の検討方向を探りたいと思います。また、自然・人文・社会の各科学分野に係ることの理解を深めることができればとも思います。

 規模は今のところ公害問題研究委員会・災害問題研究会・千歳川治水問題研究委員会の関連活動として発展をめざしますが、JSA北海道支部と関係が深い「エネルギー・環境を考える会」にも声をかけるつもりです。

 期間は13ヶ月1回程度で12年間、主な課題を終えたら支部などのシンポジウムや市民講座への発展を図ります。

 前述の第1回目には、3名の参加でIPCC( Intergovernmental Panel on Climate

Change;気候変動に関する政府間パネル)

機構・活動・出版物などの把握と、その第3

次報告書の中の「地球温暖化予測シミュレーション」について、資料や話題提供に基づく検討が行われました。

 次回は、2004828() 10~12時。1週間先の気象予測と100年先の気候変動予測、学術会議やJSA公害環境問題研究委員会の取り組み、英文で3000ページを超す第3次評価報告書の目次、過去数十万年の気候変化の歴史、炭素の有機物的または無機物的固定化、などのうち調べが進んだものから検討を進める予定です。

 あまり急いで進めずに、専門が異なる分野に係ることを、できれば楽しく、理解できるようにと思っています。勉強会へ参加希望の方は、資料準備の都合もありますので、事前に事務局までご一報下さい。 

           (文責:清野 政明)


 

 

科学談話室

パラダイムの転換のなかで生きて

    石井 寛

                      (北海道大学大学院農学研究科)

 


 私は1961年に北大理類に入学し,初めは工学部の土木に進学しようと思ったが,教養の数学の授業がほとんど理解できず,また図学において綺麗な製図ができなかったので,農学部林学科に進学することとした。その当時,森林保全問題を含めた環境問題がこんなに大きな問題になるとは全く想像も出来なかったが,結果的に時代に先駆けた分野を選択したこととなったのは皮肉なことである。衣食住の問題は人間が生存する限り,必須の課題であるからであろう。

 恐らく学部3年生の時と思うが,工学部に現職自衛官の入学問題が起きた。学内が騒然として,私は現在,山形大学の教授をしている有永明人さんに連れられて,工学部前の抗議集会に参加した。問題自体は自衛官の入学が許可されずに,終わったが,そのとき様々な議論をしたことを思い出す。軍学協同は確かに問題であるが,産学協同はどうか,また官学協同はどうかなどなど。大学の自治,研究の自由を主張する雰囲気の強いなかで,農学部の先輩が「農学研究では官学協同を否定しては研究ができない。官学協同を推進すべきである」と言われていたことを思い出す。

 このことと関わって,北大の組合が1970年代に入って,「国民のための大学づくり」というスローガンを掲げた時期があった。今,このスローガンを掲げているかどうかは分からないが,大学の自治との関連で,このスローガンが正しかったかどうかを改めて考える必要がある。現在,北大は法人化されて,逆に「産学協同」,「産学協同」の大合唱である。

 農学部に進学すると,「太田事件」というものがあることを知った。まもなく太田嘉四夫先生と出合ったが,先生は生態学の研究者であるとともに,ルイセンコやミチューリン学説の信奉者であった。先生は「獲得形質は遺伝する」という考えから農民とともに,農作物の品種改良にも取り組んでいた。しかし一方,農学部の育種学講座は20世紀初頭にメンデル遺伝学の再発見を行った講座であり,農学部内ではルイセンコやミチューリン学説は極めて評判が悪いことを知った。その後,科学者会議において松浦一先生とも知り合いになったが,先生も同じくルイセンコやミチューリン学説の信奉者であった。

 私は森林科学といって,遺伝学とは直接関わらない分野を専攻しているので,ほとんど実害はなかったが,1980年代に入って,メンデル遺伝学にもとづく研究が急激に発展し,遺伝子の組み換え技術は一部実用化され始めているが,このあたりの状況をどのように考えたら良いのであろうか。    (次ページに続く)

自然科学において,もう一つ重要なことがある。戦後の科学者運動でひと際,注目すべき活動をしたのが地団研である。その理論的指導者として湊正雄先生がいたが,先生は地殻変動は上下運動しか認めず,地殻が斜めにもぐり込むことを主張するプレートテクニックス論を遅くまで認めなかった。プレートテクニックス論自体は小説家の小松左京が「日本沈没」を書いて,一躍有名になったが,北大内の地団研関係者がプレートテクニックス論を受容したのは何時頃なのであろうか。

 

 社会科学では1989年の東欧革命と1991年のソ連邦崩壊が極めて大きな影響を与えた。それは多くの革新的理論が資本主義から社会主義への移行を前提として理論を構築していたからである。ほとんどの人はソ連邦を中心とする社会主義体制が自壊するとは想像できなかった。

 学部と大学院に入って本格的に社会科学の文献を読んだ。もっともクラッシクなのは山田盛太郎先生の日本資本主義理解である。先生の理解によれば日本資本主義は寄生地主制を基盤とする軍封資本主義としてしか存在しえず,敗戦によって崩壊するはずであった。日本資本主義は戦後,存続しえたのはアメリカ帝国主義が冷戦体制を構築するために日本を支えたからである。従って冷戦体制の崩壊は日本資本主義の崩壊に通じるとした。一方,大内力先生は戦後の日本の高度成長の要因を戦後性と後進性の2つの要因で説明し,戦後性と後進性の喪失は日本経済の長期停滞につながるとした。

 こうした有力な学説に反して,日本経済は1970年代から80年代に成長し,そのことが社会主義崩壊の1要因を作り出した。さらに1990年に入ると,これまた予想に反して,日本経済は停滞し,新自由主義的な考えから「構造改革なくして成長なし」という小泉首相の登場を招くこととなった。

 

 私は森林科学という実証を重視する科学を専攻しているので,戦後を代表する諸理論には強く影響を受けたものの,それらの理論を基礎として研究してこなかったために決定的な誤りをして来なかったように思う。しかし時代を画するような研究も行えなかったことも事実である。頭のどこかに常に理論に対する疑問があり,事実としての時代の流れを理解したいという姿勢をとってきたのが今日までである。


 

 

訃報

帯広畜産大学の白幡敏一さんがお亡くなりになりました。謹んでお知らせしますとともにご冥福をお祈りいたします。