支部事務局長新年のごあいさつ

3回全国常任幹事会報告

シンポジウム「釧路炭鉱の存続を目指す市民集会」

科学談話室  近・現代日本の魚附林思想の展開(室蘭工大:若菜 博)

3回支部幹事会のお知らせ

 

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新年のご挨拶

北海道支部事務局長 江見清次郎

 

 支部会員の皆様、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 昨年をふ閧ゥえりますと、世界的にはアメリカのブッシュ政権によるイラク戦争と日本のイラクへの自衛隊派遣決定、それから国内では国立大学法人法の成立などあまり良いことはなかったように思います。そしてこの4月から国立大学は、国立大学法人となり、教職員は公務員でなくなります。政府は予算を減額しようとしていますのでますます高等教育機関は危機的状況におちいりかねません。これらに科学者会議は、他団体と協力しながら抵抗し、科学の発展に結びつけたいものです。

 さて、北海道支部では昨年いくつか最近行っていない活動を行いました。ひとつは、北海道科学シンポジウムの地方(北見)開催です。これは前号ニュースに報告が載っていますのでみていただければと思いますが、1988年の函館開催以来15年ぶりのことです。どうしても札幌中心の活動になりがちですが、何年かに1回は地方でのシンポ開催も良いのではと思います。内容は「地域の活性化・地域経済の自立化」で、現在報告集を作成していますので、完成の際は是非お読みください(1部300円で頒布予定)。二つ目は、市民講座の開催です。これも1988年の「原子力発電」以来15年ぶりのことだと思います。市民講座担当事務局員の尽力で暮れも押し迫った12月27日(土)第1回が開催されました。内容は「アトピー疾患と低アレルゲン化食品・抗アレルギー食品研究の最前線」で、暮れの忙しい時期で宣伝も十分でなかったので、何人集まるか心配したのですが、12名の参加でほっとしました。今後2回ほど開催してその結果をみてから、本格的に開催していく予定です。

 今年の活動としては、例年行っているものに加えて昨年も新年の挨拶で書いたのですが、院生会員の活動をなんとかものにしたいと考えています。支部としての「夏の学校」などが出来るとよいのですが。

 最後になりましたが、今年も会員の皆さまにとって良い年でありますよう祈念いたします。


3回全国常任幹事会報告

 

39期第3回全国常任幹事会が2003112930日に東京で開催され、北海道支部から千葉が出席しました。この会議の『承認・決裁事項』に関しては、事務局長から次のように整理されて届いています。                     (千葉正喜)

 

39期第3回常任幹事会『承認・決裁事項』

 

<支部に討議・活動を要請するもの>
1.「『研究者の権利・地位宣言』(仮称)制定のためのアンケート」を、支部・分会・班を

  対象に学術体制部または日本科学者会議名で実施することとし、当面事前予備調査を行

い、来年4月に本格的に実施するとの「科学者の権利問題委員会」の提案を承認した。

これらの調査について支部にも協力を要請する。

2.国立大学法人化の具体化の動向調査を学術体制部の責任で実施することを承認した。今後具体化のうえ、各支部にも調査協力を依頼する。

3.大会に提出された長期ビジョン委員会の「JSAの今後のあり方についての検討結果(答申)」について討議し、4(3)「全国と地方組織」の文章を一部修正のうえ引き続き全国での討議検討をすすめることを承認した。

4.年度末へむけて、定年退職する会員などの退会を防止する活動を展開することが確認された。引き続き会にとどまり活動キることを訴える文書が作成される。

<全国事務局の活動に関して>

5.2本の声明案「石原都政の『大学改革』を厳しく批判し、強く抗議する」「自衛隊のイラク派兵に反対する」を議決した。

6.第15回総合学術研究集会は2004112628日に京都で開催することを承認した。総合テーマは議論のうえ実行委員会に結論をゆだねた。

7.第3ECSTAシンポジウム(2005年に開催)のプレシンポジウムは、「アジアの友好促進と日本の役割東南アジア友好協力条約をめぐって」を仮題として、2004627日(日)に国際部の責任で京都において開催することを承認した。

8.2004228日に開催される「ビキニ水爆実験被災50年国際シンポジウム」の実行委員会に、本会が参加することを承認した。

<手続き事項>
9.前回常任幹事会議事要録案を、一部修正の上承認した。

10.「教育基本法と科学教育研究委員会」から提出された「教育基本法から科学教育のあり方を考える」(仮題)の出版計画(岩田好宏編著・創風社出版)を、「研究委員会の成果の刊行」として承認した。
11.研究委員会、学術体制関連委員会の委員の追加を承認した。
12.事務局職員の実務分担(事務体制)を20041月から変更するとの総務財政部長の報告を承認した。
13.常任幹事会を研究基金常任準備委員会に切りかえ、2003年度研究助成についての審査結果報告を承認した。

シンポジウム「釧路炭鉱の存続を目指す市民集会」に参加して

 

 

 標記集会は20031129日午後から釧路市で開催された。主催は日本最後の炭鉱の長期存続を求める会で、JSA道支部は後援である。釧路市内外から100余名が参加し、釧路新聞、道新(地方版)に大きく紹介された。

 

炭鉱見学29日午前)

 釧路コールマインに10数人が集合。会社や採炭方法などの説明を受けて、完全装備で坑口へ向かう。人車約8分(2.7km)で海面下320mの坑道に到着、870m先の切羽へ。床は線路で歩き難い。坑道の壁には送水管やケーブル、ガス監視装置など。「世界有数の機械化炭鉱」とはいえ、いたる所に人手が感じられる。ベルトコンベアが現れると切羽だ。目の前でドラムカッターがバリバリと石炭の壁を削り取りながら移動すると、シールド枠がせり出て天井を支える。圧巻である。約1時間で昇坑、風呂で炭塵を洗い流し、そそくさと午後の会場に向かう。「百聞は一見に如かず」であった。

 

講演とパネルディスカッション

 講演その1は小田清氏(北海学園大学経済学部)の「安全・安心なエネルギーの確保と地域経済の発展」で、大量生産システムが行き詰まり、省資源・知識創造型地域システムへと移りつつあると述べた。食料の地産地消を思い出す。エネルギーならば自然エネルギー、燃料電池やコジェネ・システムなどが地産地消にふさわしい。小田氏はそういった技術は地域の発展と結びついて育つのであって、釧路の炭鉱の場合も同じではないかと述べた。

 講演その2は樋口澄志氏(北海道大学大学院工学研究科)の「日本の石炭の歴史と現在-技術者の立場から-」。まず海外の大規模な露天掘りの様子をOHPで示すと会場から感嘆の声。日本は多くの犠牲を伴いながら世界に完たる保安技術と生産性をもつ坑内掘り炭鉱を作り上げたと、自慢の掘り方を紹介した。この石炭技術を世界の炭鉱の発展に役立てるよう、ぜひ釧路の炭鉱を活用して欲しいと「一技術者」として熱弁をふるった。九州の海外研修生は実習のために釧路までやってくるのだという。

 パネルディスカッションのための報告が三つあった。

その1「未来の石炭は釧路から-グローバルな問題に対するローカルからの発信-」(日本最後の炭鉱の長期存続を求める会会長 鈴木史朗氏)では、釧路で石炭を掘り供給している意義を明らかにした。

その2「太平洋炭鉱『閉山』後の地域経済・社会」(釧路公立大学経済学部 中囿桐代氏)では、閉山(021月)に伴い関連施設の閉鎖が進行し、炭鉱の操業終了時には再就職は一層困難になろうと述べた。その3は「地元石炭の活用を!」(求める会幹事、元釧路市議会議員 藤田照明氏)。釧路での現在の石炭使用量は年間60万トン、20万トンが加わる予定。全部地元(現在70万トン+増産10万トン)でまかなえば輸送費23千円/トン(現在65万トンが横浜へ)が節約できる。コールマインは40億円/年の助成を要望。価格保証で国内石炭の存続は可能と参加者に希望を与えた。ちなみに、原子力施設受け入れ自治体への交付金は800億円/年である(財源は電気料に上乗せ)。

 

討論:・夕張には1億トンの石炭が眠っており今なら再開する力はある、安全さえ守れば危険ではない。・釧路にもまだ掘れる石炭はある、坑道は数年で閉じてしまうが、新しい所を掘ればよい。・石油を長持ちさせるために石炭の活用を。-他にも炭鉱の存続・再生に向けての意見がいろいろ出されて大いに盛り上がった。(個人 石崎健二)

 

 

科学談話室

 

近・現代日本の魚附林思想の展開

             室蘭工業大学共通講座  若菜 博

 

「うおつきりん」とは,法律用語では「魚つき保安林」と称され,海岸や河川湖沼沿いなどの森林を保安林として指定したものである[1897(明治30)年制定の()森林法の保安林制度に基づく]。日本での魚附林思想の源流は,古くは1600年代初頭まで遡ることができる。例えば,「佐伯藩(藩域は現在の大分県南部,佐伯市を中心に本匠村・直川村・蒲江町・四浦半島・鶴見半島一帯にわたり,津久見市の一部を含む)の藩主であった毛利高政が津組(津久見)の百姓たちに与えた元和九年(一六二三)九月十九日付の触書(『大分県史料』十二巻所収)によると,津久見浦の山で焼畑を行うことや,湾内の小島の草木を伐採することなどを固く禁じている。その理由は,「山しげらず候へば,いわし寄り申さず候」ということを聞き及んでいるからだという。佐賀関以南のリアス式海岸には,ウバメガシ(ナラ属の広葉樹)を主体とする植生がみられるが,そうした県南の沿岸部の豊かな森林が魚付林としての役割を果たしていた」(荒川良治:<小論>「山しげらずば,いわし寄り申さず候」大分県公文書館『公文書館だより』第4号,1998年2月)とされる。

北海道では1988年に全道120漁協婦人部で「お魚殖やす植樹運動百年かけて百年前の自然の浜を」が取り組まれ,漁師の植樹活動は全国的な展開を見せている。近年の漁師の植林活動開始の契機は(旧来の魚附林思想を背景にしつつも),札幌農学校〜北海道大学での「森-海システム」の研究の系譜の進展にあった。その一部を紹介しよう。

19071921年に渡って札幌農学校水産学科・東北帝國大学農科大学水産学科・北海道帝國大学附属水産専門部の教授であった水産植物学者の遠藤吉三郎は,1900年代初頭から「磯焼け」の原因が「水源地方ノ森林ノ濫伐」にあると主張していた(19031911,など)。遠藤は1919年の「遠藤事件」でも北大史に名を残している。

1930年代から森と海の関係の調査を開始し明確な主張をなしたのは犬飼哲夫である。犬飼は,1916年東北 大学農科大学予科に入学,1919年に北海道帝國大学農学部農業生物学科に入学し,第一期生として1922年に同学科を卒業した。その後,19221961年に渡り,北大農学部助手・助教授・教授を歴任(この間,1930年以降は理学部教授を兼務)し,19471949年の間は函館水産専門学校長を務めた。犬飼が東北帝國大学農科大学予科に入学した1916年から1919年の間,犬飼と遠藤は予科学生と教授の立場で札幌の同一キャンパスで過ごしていることになる。

 1930(昭和5)年3月27日に,北海道帝國大学に理学部が設置され,犬飼は理学部教授を兼任する。そして,翌年の1931年には北海道厚岸に理学部附属臨海実験所が開設される。厚岸に臨海実験所が設立されたのは,地元漁業者の要望と協力によるものであった。厚岸のカキは元々「北海の三絶」の一と称され,当地はカキの一大産地であった。しかし,大正時代にその減少が目立ち始め,昭和の初期には絶滅状態に追い込まれていた。この原因の究明を厚岸の漁民たちは,設立されたばかりの理学部に要望し,また実験所の建物などを大学に寄付したのであった。犬飼は,臨海実験所開設と同時に,厚岸湖のカキの調査を開始し,西尾新六とともに研究にあたった。約5年後に研究をまとめ,・1937年,北海道帝国大学農学部紀要第40巻,に西尾との共著論文「A limnological study of Akkeishi Lake with special reference to propagation of the oyster を発表した。

犬飼・西尾の研究の結論は次のようなものであった。カキの繁殖時は7・8月で,初め浮遊性の幼生は間もなく他物に附着して種ガキとなり生長する。この7・8月頃は厚岸地方の最大雨量の時期に当たり,厚岸湖に注ぐ二つの大きい河川のベカンベウシ川と尾幌川から多量の淡水が厚岸に注ぐ。ベカンベウシ川の上流はかつて鬱蒼たる大森林だったが,調査時点では笹山になっていた。この状態では,降雨によって一時に出水した河川は著しく多量な土砂を運び出し,そのため降水時には厚岸湖の水が連日混濁し,流れ出た泥土は更に湖の中に流れ込み潮流で更に混乱して湖一面に広がり,平穏な所では厚く沈殿をなし,湖底や湖中の総てのものを泥で包むようになる。このために河口に近い部分では温度の急激な変化と,潮流の急激なためカキの生活に不適な状態が生じ,一方せっかく着生して繁殖し出した種ガキも泥で蔽われて窒息して死滅するものが多い。そこで結局丈夫な親ガキだけが残り,弱い子ガキが死ぬから全体として厚岸湖ではカキは減少の一路を辿って来た。これは明らかに上流地方の山村の荒廃の影響であった。この研究を共同で担った西尾は,戦争のさなか,若くして満州で死去した。犬飼はその後も,・1938年「山林が漁業に影響する実例」『北海道林業会報』1月号,・1951年「森林と水産業」『樹氷』(帯広営林局)11月号,・1965年「自然保護とそのあゆみ」『札幌林友』(札幌営林局)No.121,・1970年「カキ」(所収『わが動物記』暮しの手帖社),・1973年「自然の保護について」(所収環境庁長官官房総務課編『生命ある地球-環境週間記念講演集』帝国地方行政学会),・1976年「森林と水の問題」『北方林業』No.29,・1985年「動物学六十年」(所収北海道新聞社編『私のなかの歴史4』北海道新聞社),と発表を続けた。1951年の上記文献・では「わが国の山林全部が魚附林である」と主張していた。

 北海道指導漁業協同組合連合会の指導者である柳沼武彦は,1975年の全道漁協職員大会での犬飼の講演に柳沼は出席し,そこで,「水族を保護するものは内陸奥深く存在する山林の方が重要で,わが国の山林全部が魚附林であるのである」との犬飼の主張を知った。これを最大の契機にして,柳沼は1988年に始まる北海道漁協婦人部連絡協議会の「お魚を殖やす植樹運動」を指導し運動を担ったのであった。

 

 文献
若菜博:日本における現代魚附林思想と環境教育・総合学習」『教授学の探究』第19号,2002年,

pp.77-95

 

若菜博:日本における現代魚附林思想の展開」『水資源・環境研究』第14号,2001年,pp.-9。

若菜博:現代魚附林思想と「ニシン山に登る」三浦正幸・大滝重直らの「森と海」に関する複層流,

室蘭工業大学紀要,第51号,2001年,147-158頁。

 上記文献は,以下の若菜のホームページで公開している:
 http://wakana.mcr.muroran-it.ac.jp/works/nishin/nishin-index.html
 

  

 

    不要の本棚をご寄付下さい。

事務所の物置用に本棚を探しています。廃棄処分を考えているもの等がありましたら事務所まで連絡ください。

 

 

 2003年度第3回支部幹事会のお知らせ!

 

 

 第3回JSA北海道支部幹事会(拡大)を下記の通り開催します。お忙しい折とは思いますが、各班の幹事の方はご出席ください。幹事の方が出席出来ない場合は、代理の方の出席をお願いします。

 個人会員・幹事以外の方々も積極的にご参加していただき、ご意見等をお聞かせ下さい。

 

 

日時: 2004年2月29日(日)9:30 14:30

場所: 北大工学部社会工学系第二会議室(工学部正面玄関入り1階左手奥)

 

報告   支部事務局活動報告、班・分会・委員会活動報告

 

議題 

 1.科学技術政策と法人化

 2.科学シンポジウムの総括及び来年度の計画

 3.支部財政問題

 4.組織強化・拡大

 5.その他(支部大会日程及び議題など)

 

※なお、幹事会の前日2月28日(土)午後同会場で、「科学技術政策と法人化」

についての講演会を開催する予定です。

詳細が決まり次第、支部ホームページ等でお伝えします。 

 

 

支部財政問題検討会を開きました

 

 昨年12月18日(木)事務所で支部財政問題検討会を開きました。出席者は、支部事務局の3人、財政担当、神山代表幹事及び職員の清水さんです。

この会議は、支部会員数の減少が続き支部財政が次第に厳しくなっているため、その現状を把握し今後の対策を検討するために開かれたものです。単年度の収支でみると赤字状態にあり、会員数も毎年減少する傾向が続いているため、何らかの対策を立てることが必要だとの認識となりました。それで、支出項目について可能なものについて削減すること、本部への前納を追求して補助金を受けること、寄付を検討することなどが話し合われました。会費値上げは、デフレの現状では考えられないということとなりました。また、会員の拡大にも取組支部財政を支えることの重要性が話されました。

 今後、幹事会等で方針を具体化していくことになると思いますので、会員の皆様方御協力よろしくお願いいたします。(事務局長)